コンサート

コンサート解説

ピアニストのメナヘム・プレスラーは、現在の音楽界において生きる伝説と言っても過言ではない存在です。17歳でデビューを果たし、サンフランシスコのドビュッシー・コンクールで優勝(そのときの審査員の一人に、フランスから亡命したダリウス・ミヨーがいました)。その後、ユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団との共演でソロピアニストとしての国際的なキャリアを歩み始め、1955年夏にタングルウッドでピアノ三重奏団のボザール・トリオを結成。実に53年間に渡って活動をすることとなります。室内楽の分野でこれほど長い間、国際的な活動をしたグループは例がありません。当時90歳のプレスラーがセミヨン・ビシュコフ指揮ベルリン・フィルの定期演奏会に初登場しました。モーツァルトのピアノ協奏曲第17番において、至芸ともいえる演奏を聴かせています。

後半はショスタコーヴィチの交響曲第11番。後のロシア革命につながる1905年の「血の日曜日事件」を描写した作品で、作曲当時の「ハンガリー動乱」との関連性も指摘されています。「私はショスタコーヴィチのようにソ連時代の集団テロを経験したことはないが、彼が生きた当時の環境や彼自身に身を重ねることはできる」とビシュコフは語ります。1980年代、かのカラヤンはビシュコフ指揮ベルリン・フィルのショスタコーヴィチの録音を聴いて、彼を自らの後継者候補の一人に指名したことは知られています。迫力みなぎるショスタコーヴィチ演奏をお楽しみください。

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